拒食症 蒸しかぼちゃ生活10年
私の娘(6歳)は、「かぼちゃ・小豆・餅」が苦手なんですね。
昨日、ほんのちょっとだけかぼちゃを入れたお料理を作ったのですが…
娘は一口食べただけで気づいて、「かぼちゃがはいってるー」と。(;^ω^)
かぼちゃつながりで
ふと過去のことを思い出したのでブログに書いてみようと思います。
私は、高校生のときに「制限型拒食症」になって、喉を通る固形物は、蒸しかぼちゃだけだったんです。
毎日、味付けをしない蒸したかぼちゃを食べるだけの「かぼちゃ生活」は、10年ほど続きました。
私が、制限型拒食症になったきっかけは、ダイエットではないんです。
小学生のときは、栄養失調で顔にはたけ(白いシミのような斑点)ができるほど瘦せっぽちで、中学のときはしっかり食べていたけど長身の痩せ型でした。
根本的な原因は、
子供時代に〝安心〟を得られるような環境ではなかったから。
私が3歳ころに両親が離婚して、父親がいなくなりました。
母は、泣いていることが多かったせいか、私は、小学生のころから、頼まれてもいないのに子どもとしての役割をすっかり置き去りにして親になりきっていました。
「母を喜ばせなきゃ」
そのためにできそうなことはなんでもしました。
一緒に朝早く起きて新聞配達を手伝って、弟の世話をして、ご飯を作って、母の悩みや愚痴を聞いてましたね。
母を見ていると、いつも何かが不安で仕方なくて、子どもの立場を忘れ、母の不足は私が補うべきだと思い込んでいたんです。
でもそんな状態はずっとは続かないですね。
身の危険を感じる日々が続いたことで、自己存在の肯定感が脅かされ、そのストレスから食事が喉を通らなくなったんです。
自己肯定感には、他者からの評価に支えられる「社会的自己肯定感」と、自分で自分の存在価値を認める「絶対的自己肯定感」があります。
心理学的には、「絶対的自己肯定感」を持つことが重要だといわれていますが、厳しい環境で生きてきた人や真面目な人ほど、自分を認める基準が厳しくなってしまいます。
「絶対的自己肯定感」が低い人は、信頼できる他者にその存在や働きを認めてもらうことも大切ですが、それよりも何よりも、「ありのままの自分を認めて大切にする」ことの方が重要なんです。
「ありのままの自分を認めて大切にする」
これは、自分を客観視することです。
このとき、やりがちなのが、「これは自分の長所」「これは短所」と、自分でジャッジすること。
そうではなく、長所や短所、自分に足りない部分や過去の失敗なども含めた等身大の自分を冷静に見つめることが大切なんです。
そのためには、今の自分がどういう人間なのか、書き出してみるのもオススメです。
頭で考えてしまうと、つい自分の思考によってジャッジしてしまうから。
書き出すことによって、一歩引いた目線で冷静に自分を見つめることができますし、自分を認めることもできるはずです。
そして、感情すらも客観視して理解し、どんなときも自分の一番の理解者であり味方になろうとしてあげてください。
そうすれば、自分に自分で愛情を注ぐことになり、自分を大切にできるようになります。
私は、何十年もの間、母を許せないでいました。
許せないけど、見捨てることもできない。
許せない気持ちが強かったころ、私は母を攻撃しました。
攻撃しても少しもすっきりせず、苦しさが増すだけでした。
なぜなら、
私に攻撃された母が小さく見えたから。
とっても悲しくなりました。
投影の法則でいうと、
母を攻撃している私というのは、
実は、
私が心の内に抱いている心理的な要素が投影されているので、
私は私自身を攻撃しているということになるんですね。
私が母を攻撃するときに使っていた言葉は、
「あなたには母性はないのか?」
「愛せないくせになぜ私を産んだのか?」
でもこれね、
母に「母性を出せ」とか
「私が満足するくらい愛してよ!」
と、コントロールしようとしてもムダなんです。
それどころか、
お互い現実が悪化するだけなんです。
それがわかってから
攻撃することをすっぱりやめました。
「やめる」と本気で決めてから現実世界がどんどん変わりました。
母の当時の精神状態では、あれが精一杯だった。
母は母なりに頑張って生きていた。
母は、そのままでいい。
ただ元気で笑顔でいてくれればそれでいい。
母をゆるしたら、
自分をゆるせるようになったんです。
攻撃するエネルギーも強烈だったけど、攻撃しているときとは比べ物にならないほど、愛(ゆるし)のエネルギーはパワフルで、生きる喜びをもたらしてくれました。
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